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【建築家の文学館巡り 第10回】
--今井邦子文学館--
長野県諏訪郡下諏訪町湯田町3364


 JR下諏訪駅で偶然知った文学館を訪ねることにしました。未知のひとに出会う楽しみで足取りも軽く、諏訪大社秋宮の門前を通り15分ほどで辿り着きます。旧中仙道の宿場町の面影が辛うじて残る道筋に文学館はありました。

  今井邦子は歌人で明治23年に父の任地徳島で生まれたひとです。アララギ派の代表的歌人島木赤彦の門弟で相当な評価を得ていました。この文学館は今井邦子の父親の生家であり、彼女自身3歳から18歳まで住んでいた所です。父親は優秀な官吏で徳島、仙台、函館と任地を移り函館市長にまでなっています。しかし彼女は両親と共にあらず、祖父母の老後の面倒を見るため3歳にして姉とともにこの下諏訪の家にひきとられました。現代の常識では理解できない明治の世相が窺われます。

  私は文学館で彼女の生い立ちや作品、遺品の一部に触れ、下諏訪で感性を育んだこの歌人にたいへん興味を覚えました。古い慣習に縛られざるを得ない女性の生き様に感銘したのです。両親の愛情に触れることなくそれでも彼女は早くから文学の才能を発揮します。松本の女学校進学を希望しますが夢叶わず、その挫折感はいかほどのものだったでしょう。18歳の時祖母が病死し同時に両親が戻ります。一家で暮らせる時がきたのですが両親になじめず、文学で身をたてることにも反対され、彼女は家出してしまいます。

  上京後中央日報に勤めますがかなり困窮を極めました。姉が送ってくれた20銭のお金を握り締めひさしぶりの銭湯へ行った、とありますから相当なものです。22歳で同僚と結婚し生活苦は消えますが、妊娠中にリューマチを患い、それが原因で生涯右足不自由の身になってしまいます。美意識の強い歌人には耐え難いことだったでしょう。そんな経緯がいたずらしてか、夫そして自身の不倫と不幸が続きます。
  一方歌人としてはアララギ派に属してからは作風が一変します。才能に任せた伸びやかな言葉使いやリズム感から一転して写実主義の教条を守り抜きます。私はここにも興味を惹かれます。およそ芸術家は本能というか才能の部分だけでは立ち行かないことを自覚しています。しかし方法の枠にはまるのも嫌なものです。この絶妙なバランスのうえに多くの芸術はあると思います。アララギ派の総師島木赤彦が同郷であったことも影響しているかもしれません。

  今井邦子は戦火迫る昭和20年東京から疎開します。そして、わずか3年後の昭和23年、59歳でこの地に生涯を終えます。町はこの建物を買い取り文学館にします。老朽化が激しいためやむなく解体、面影を極力復元して新築された、とのことです。館の女性はそんな事情を詳しく説明してくれました。今井邦子がふるさとの誇りであり深く愛されていることを感じます。古き時代の街道の写真、そして今井邦子の肖像写真があります。なんと凛として美しいひとでしょう。

  歌集<紫草>を買い求め外へ出ます。しばし完全に彼女の生きていた時代に同化していた私は現実の日ざしに目がくらむ思いでした。それでも諏訪大社や門前の大木は悠然と構えており坂道の旧街道に身を置く不思議さが押し寄せてきます。ゆっくりと歩きながら今井邦子を育てた遠き日のまちなみに思いを馳せました。歴史ある空間は本当に大切なものです。そこに生きたひとたちの思いがぎっしり詰まっているからです。

市民とメディア研究会・あくせす会員
木野秀明