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【建築家の文学館巡り 第6回】
--新美南吉記念館--
愛知県半田市岩滑西町1-10-1


新美南吉は大正2年生まれ、昭和18年に29歳で没した作家です。東京外国語学校と就職(東京商工会議所)の約3年間を除いて故郷半田で暮らしました。少年時代から文学に興味を持ち、14歳にして童謡を創作したといいます。本名は正八ですが南吉のペンネームは18歳で雑誌<赤い鳥>に投稿したころから使い始めています。有名な<ごん狐>は、東京外語学校在学中19歳の作品です。

 この記念館は1994年に完成した新しいものです。その形はスケッチを見ていただくとよいのですが何とも不思議です。形が無い、というか、半分ぐらい地下に埋もれています。設計者は設計競技で選ばれました。これぞ、という形を誇示する建築にはしたくなかった、と設計者は述べていますが、同じ建築家としてその気持ちはよく理解できます。最近の建築のトレンドとして形を環境に馴染ませ、むしろその存在感を消す、という傾向がありますが、これなどはその部類に入るでしょう。

 連なる丘を連想させる建物は地面が屋根に連続していて、更に芝生が植えられるという徹底ぶりです。なるほど、という共感を抱いて建物に入ると床までが傾斜しています。ここまでしなければいけなかったのかな、車イスの方は辛いだろうな、などと思います。建築の着想が美しすぎて、現実が解決しきれていないのかもしれません。着想と現実のバランスは実に難しいのです。特に設計競技ではよく問題になります。半田のみなさんが長い時間の中でこの建物をどう評価していくか興味深いところです。

 新美南吉の生家は現存しています。記念館から歩くこと20分あまり。名鉄半田口からなら10分とはかからないでしょう。畳屋を営む父の店と連続しており、平屋で一部地下があるとても狭い住宅です。母は彼が4歳の時亡くなります。10歳で母の実家新美家に養子に出されますが、寂しくてわずか半年で生家に戻ったそうです。もう母は他界していても、その母の温もりの残る場所がよかったのでしょうか。今もまったく当時のままではないかと思われるほど、改修を加えず保存されています。ぜひこちらも訪れてみることをお薦めします。

 記念館から生家へ、公共交通機関もないので、はっきりとした位置もわからないまま歩きかなり迷ってしまいました。しかしまだまだ豊かな自然環境に包まれ、故郷かくありきとも言うべき小道を歩いて、しばし南吉の時代に踏み入ったような不思議な気持ちになりました。山も田んぼもお寺も神社もたくさんあります。迷い込む度に、ごん狐や赤いろうそく、おじいさんのランプなど南吉の世界が<おいでよ、遊ぼうよ>と語りかけてくるようでした

市民とメディア研究会・あくせす会員
木野秀明