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【建築家の文学館巡り 第2回】
--堀辰雄文学記念館--
長野県北佐久郡軽井沢町追分662


堀辰雄は明治37年東京に生まれ、一高、東京帝国大学国文科と秀才コースを歩み順調に作家の道を歩んでいきます。19才で室生犀星、芥川竜之介の知己を得ますが、24歳の時重病を患います。以降病との長いつきあいが始まり昭和28年、49歳で生涯を終えます。
第1回で紹介した立原道造と同じく病弱な人でした。ちなみに立原道造に出会うのは27歳の時です。

堀辰雄の作品は、聖家族、美しき村、菜穂子など有名なものが多くありますが、病弱ゆえ多作ではなく、その生涯の多くを軽井沢で過ごしました。その一生を終えた信州追分村の旧居が今もなお現存しており、堀辰雄文学記念館となっているのです。私は長くそこを訪れるのを楽しみにしていたのですが、やっと昨年の5月に実現することができました。

信濃追分の駅はいつごろのものでしょう、ずいぶん古めかしく無人で佇んでいます。かって堀辰雄や立原道造が歩いた道筋を想像しながら歩くこと20分ほど、あこがれの記念館に着きました。まだ早朝ゆえ開館には1時間ほど前だったのですが、変わったひとが来たと思ったのか、<どうぞいいですよ>と入れてくださったのです!

建物は4棟あります。新しい管理棟、堀夫人が辰雄没後建てて住んだ展示棟、書庫、そして旧居です。私は展示棟の品物を慈しむように一点一点見ました。そして胸の高まりに興奮しながら旧居に入りました。堀辰雄が病床で横たわる写真を見た記憶が蘇ります。まさにその当時のままなのです。感動で言葉が出ませんでした。本当に小さな日本家屋で南には広がりのある信州のさわやかさが吹き抜け、北には浅間山が望まれます。小康の日々には堀辰雄の理想郷だったのではないでしょうか。

独立した書庫には蔵書がきちんと並んでいます。完成を心待ちにして本の配列も夫人に細かく指示したとのことです。しかし、実際にこの書庫に足を踏み入れることなく亡くなってしまったのです。書庫の端に腰掛け旧居を見やると没後約50年の時間の流れが押し寄せてくるようでした。(スケッチを参照ください)

記念館の近くには油屋旅館があります。多くの作家が愛した宿ですが、火災で焼失し、現在のものは再建されたものです。来た道とは別の経路を辿り追分の駅へ戻ります。別荘地として整備されていますが、旧軽井沢などと比べればずっと静かで、今なお堀夫人もお住まいになっているとのことです。もし行かれるのであれば、追分の駅から歩かれることをおすすめします。追分の無人駅から眺める浅間山の雄大さにはすばらしいものがあります。
私は小諸から電車に乗りましたが、今度は小海線で小淵沢から行きたいと考えています。
小淵沢の近く富士見には旧富士見高原療養所があり、ここで堀辰雄は婚約者矢野綾子と療養していました。病状の重かった綾子は堀の看病もむなしく25歳で没します。昭和10年、堀辰雄31歳の時です。

次回は軽井沢高原文庫を訪れます。行かれた方があれば幸いです。

市民とメディア研究会・あくせす会員
木野秀明