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【建築家の文学館巡り 第1回】
--立原道造記念館--
東京都文京区弥生2-4-3


立原道造は大正から昭和初期に生き、わずか24歳でこの世を去った詩人です。私がこの詩人の作品に出会ったのは17歳の時でした。それまで造船技師をめざし、自分で造った船で航海に出ることを夢見ていたのですが、立原道造のおかげで建築家志望に変わってしまいました。立原道造は建築家でもあったのです。

立原道造は東京に生まれ育ち、一高生のころからその詩才は注目されていたようです。一方で絵を始めとする造形の才にも恵まれ、東京帝国大学建築学科に学びます。在学中、設計の優秀な者に贈られる辰野金吾賞を3度も受賞していることからもその才能は想像されるでしょう。しかし病魔に冒されあっけなくこの世を去ります。恋人に看取られたのがせめてもの救いでしょうか。
そんな立原道造の記念館がある、と知ったのは開館からわずかのことです。これも縁だなあ、としみじみ思いました。不確かですが開館はまだ5年前ぐらいのはずです。彼が学んだ東京大学、弥生門の目の前に小さな記念館があります。始めて訪れたのは4年ほど前の暑い夏の日でした。場所がわからなくて歩き回るうちに大汗をかき、やっと辿り着いた時の感激はわかっていただけるでしょうか。<ほんとにひさしぶりですね・・>といった感じでしょうか。とにかくあたふたと入館しました。

ちょっと書くのは気恥ずかしいのですが、受付ではひとりの女性が読書をしていました。真っ白な洋服のほんとうに涼やかなひとで、まるで立原道造の恋人のように思えたのです。
訪ねるひとも少ない記念館ですから、その時も入館者は私ひとりでした。2階、3階と小さなフロアを上がり、詩人の手書きの詩を鑑賞しました。浅間山を描いた絵が展示してあり、その溢れ出る才能に圧倒されました。
1階にもどり<立原道造の恋人>から資料を1冊買いました。外へ出て外観を眺めてみます。彼ならこんな感じに設計しただろうか。私ならどうするかな。そんなことを考えていると、すこし涼しい風も吹き渡り、ゆっくり歩いた不忍池までの道のりは至福のひとときでした。以来毎年一度は記念館を訪ねます。いつもずいぶんピュアな気持ちにさせてもらえるからです。展示内容もその都度変わり、学生時代の設計図が公開されることもあります。

郵便箱は荒物店の軒にいた
手紙を入れに、真昼の日傘をさして
別荘のお嬢さんが来ると 彼は不精者らしく口をひらき
お嬢さんは急にかなしくなり ひっそりとした街道を帰って行く
これは<村ぐらし>という作品の冒頭です。この村というのは信州追分村のことです。追分村にはぜひ一度訪ねたい、といつも思っていました。実現したのは昨年のことでした。そしてここには彼の師、堀辰雄の記念館があるのです。

市民とメディア研究会・あくせす会員
木野秀明