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京都新聞「放送時評」
05年5月 その2
「忘却」


 前回フジテレビ騒動批評の最後に『NONFIX』(火曜深夜)は"良心的番組"だと、多少フジを擁護した。責任上、同番組「シリーズ憲法」『第九条・戦争放棄「忘却」』(五月三日)のビデオを取り寄せて観た。『誰も知らない』でカンヌ受賞監督になった是枝裕和氏が一人で撮影・構成・ナレーションした作品だ。

 今年が太平洋戦争終結から六〇年、ベトナム戦争から三〇年と言ってみても、若い世代にはほとんど意味がない。彼らはどのように憲法改正論議や"九条の攻防"を受け止めているのか。一九六二年生まれの是枝も同様の疑問から旅をはじめる。

 番組は東京・練馬で育った是枝の個人史を縦軸とし、映画上映などで訪れた土地と戦争との関わりへの眼差しを横軸として、日常と非日常を対比させながら構成されていく。<戦争>というものに触れた身体感覚を映像化するために、私的ドキュメンタリーと歴史再構築ドキュメンタリーを衝突・交錯させる手法をとっている。キーワードは、戦争の「加害者という意識」と「忘却という暴力」か。

 是枝は少年時代に自衛隊で剣道を習い、怪獣を退治するウルトラマンを正義だと信じるごく普通のこどもだったという。しかし今振り返れば、高度成長や開発ブームで滅びてゆく自然を象徴しているかのような怪獣ムルチを、ウルトラマンはついに倒そうとしない。このとき是枝は、自分が内包している加害性に初めて気づいたという。

 また国民的人気映画『二十四の瞳』での、「悪いのは戦争で、みんな騙されていた」という台詞に、「騙された者の罪」「加害者としての意識の欠如」を指摘した映画人・伊丹万作や大島渚がいたことを後に知る。そのことは台湾で生まれ、戦争に駆り出された後、シベリアに抑留された父・謙蔵の記憶とも重なる。

 他方で是枝は、映画の公開に合わせて、沖縄、広島、ニューヨークのグラウンドゼロ、ワシントンのベトナム戦争記念碑、アウシュビッツ強制収容所跡、父の故郷でもある台湾などを訪れる。それぞれの土地で、戦争がどのように記憶され、また忘却によって封印されるのかを、見つめていく。ベトナム戦争記念碑にも、沖縄の「平和の礎(いしじ)」にも、国籍を問わず戦争で亡くなった人たちすべての名前が刻まれている。そこでは個人が個人を記憶しているのであって、国家に祀られるのではない。編集にやや濃淡はあるものの、是枝はそのように受難の地の記憶をたどる。

 このシリーズは、森達也監督の「第一条・天皇制」制作中止"事件"は別として、「二一条・言論・表現の自由」、「二四条・僕たちの"男女平等"」、「二五条・生存権カケガエノナイモノ」など、制作者の正直な感覚で憲法を掴まえようと健闘している。スタッフの率直な姿勢は「政治に無関心と言われる世代のディレクターは、憲法をどう見るのか?」という告白風番組紹介にも読み取れて、今後の番組にのぞみがわいてきた。今年後半の、是枝監督の立命館大学での映像講義にも期待したい。

市民とメディア研究会・あくせす会員
津田正夫