■あくせすWebサロンTOP > ■放送時評index

京都新聞「放送時評」
05年1月
「性同一性障害」


 体の性別と人格的精神的な性が一致しない「性同一性障害」に苦しんでいる人は少なくない。一昨年、戸籍上の男性が女性として世田谷区議に当選したり、去年は性同一性障害特例法が施行されるなど徐々に認知が広がってはいるが、偏見の壁はまだまだ分厚い。私もその壁の一人だろう。朝日放送一月八日の「カラダは女・ココロは男〜本当の性を探して」(『テレメンタリー2005』二五時三〇分)は、こうした厚い壁の中で、静かに、しかし果敢に生きる人たちを追った秀作である。

 晴日(はるひ)さんは、女として生まれたものの心は男だという違和感に長年苦しんできた。思いきって真実をカミングアウト(告白)した後の、恋人との葛藤と別れ。性転換手術で"他人は騙せても自分は騙せない"という撞着。しかし、そのままの自分を男として愛してくれる女性・チャコさんとの邂逅に支えられる。自分に自信が持てるようになり、女の体のまま男として生きていこうと決意する。

 一方同じ環境にある悠さんの場合は、悩んだ末に手術で男の体に変わることを決断する。「親からもらった体にメスを入れるなんて、本当はいけないこと」と両親に謝りながらも、手術を打ち明ける。悠さんの"手術へ向かっての闘い"は、家族に支えられての闘いでもあった。
番組は、"本当の性"を探し求める二人の日常、それぞれの周囲の人たちとの縺れを解きほぐす対話や、さりげない思いやり、迷いながらの決断などを、淡々と描いてゆく。ドラマティックに詠いあげるわけではないが、チャコさんはじめ、彼らを支えた人たちとの関係のあり方が、壁を越えて私の心を打つ。

 自らの生き方をここまでカメラの前に示すことは、大変な勇気が要っただろう。撮影もこなした植木浩美ディレクターは、五年もこのテーマにこだわってきた。取材相手と気まずくなることもあったという。それでも制作を続けられたのは、取材を通して本当の自分を見つめ直そうとした彼らの勇気があったからだとも。「とかくメディアはカミングアウトをクライマックスにしがちだけど、大事なのはその後、大切な人たちがどう受け止めてくれるのか、どう一緒に生きていけるかということ」ではないかと、晴日さんから問いかけられたという。番組作りもまた"共に闘われた"ものである。人の個性が違うように性の形もまたそれぞれに違うのだと、ずしりと気づかせててもらった。

 一方、番組では特例法の門戸が狭いことは示されるが、壁を壊すためにはどうしたらいいかという戸惑いも残る。さらに続編も期待したい。
 性や体であれ、生き方や国籍であれ、現在ある自分を肯定することができないということは、他者には分かりにくい苦しみだ。"自分ではない人生"を生きていると感じ、追い詰められている現在の多くの人たちは、この番組に深く共感したのではないだろうか。なぜ、みんなが見られる時間帯に放送しないのだろう。編成方針と市民感覚のズレも感じてしまった。

市民とメディア研究会・あくせす会員
津田正夫