■あくせすWebサロンTOP > ■放送時評index

京都新聞「放送時評」
04年7月
「海峡を越えた歌姫」

 今月九日参院選直前の、曽我ひとみさんと家族の、ジャカルタでの再会劇の報道は、一家の絆の強さを中継してきわめて感動的ではあったが、それ以上ではなかった。フジテレビなど一部のメディアは露骨にショー(見世物)として利用したが、全体としては小泉政権の宣伝に乗せられては困るというメディア側の自制も多少働いたのだろう。意地悪く言えば、この再会がもつ歴史的な意味を深く捉えなおす想像力や企画力に欠けていたのだろう。

制作者の想像力というものを改めて考えさせてくれたのは、翌一〇日の「海峡を越えた歌姫〜在日コリアン声楽家の20年」(ETV、午後十時)だった。分断された「祖国」と日本の間に横たわる複雑な国際政治に翻弄されながらも、ひたむきに真実と国境に向かい合う在日コリアン二世の声楽家チョン・ウォルソン(田月仙)さんの二〇年間の歌手活動を、東アジアの激動の現代史と重ねて記録しつづけたドキュメンタリーだ。

  両親の故郷は韓国だが、日本で生まれたウォルソンさんは、音大の受験資格制限の壁を乗り越え、一九八三年に声楽家デビュー。オペラ歌手としての高い評価から、八五年に北朝鮮に招かれ、金日成の前でアリアを歌う。北朝鮮で会いたかった四人の兄たちは強制収容所に入れられ、うち一人は死亡していた。九四年には韓国に招かれ、オペラ「カルメン」の主役を務め、九八年には、東京都の親善大使としてソウルで日本の歌を歌うことになる。

彼女は日韓の未来をイメージした「夜明けの歌」を歌おうとするが、韓国政府は日本の大衆歌謡を歌うことを許さない。ついに自ら編曲したメロディだけを、朗々と歌い上げる。大勢の観客を前に精一杯抵抗するウォルソンさんの勇気と熱唱が胸をうつ。

  その後ウォルソンさんは、韓国各地を旅しながら、さまざまな立場で創られた曲を発掘して歩く。日本統治下にあって、“日本のために、立派に死んで帰ります”と歌う「息子の血書」は、朝鮮の若者を日本軍が徴用するために作られた曲だった。
また、朝鮮戦争中アメリカに逃れた在米コリアンの男性が作った「高麗山わが愛」にも出会う。二年前「日本人拉致事件」を知って、苦悩しながら今も新しい表現を追究し続ける。

来年は日韓国交回復から四〇年。かつての“放送禁止歌”「イムジン河」を「紅白歌合戦」で歌ったキム・ヨンジャさんといい、チョン・ウォルソンさんといい、ショー・ビジネスに生きるアーティストたちが、韓国・北朝鮮・日本の間に横たわる歴史から多様で深いメッセージを汲み上げようとしている。拉致事件をショーアップするばかりの日本のメディアは、この四〇年の意味や展望をどこまで語りうるのだろうか。「南であれ北であれ、いずこに住もうとみな同じ兄弟ではないか」(「高麗山わが愛」から)

(前回六月二二日のこの欄で、福岡放送の小川英伸記者としたのは、石川英伸記者の間違いでした。お詫びして訂正します。)

市民とメディア研究会・あくせす会員
津田正夫