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京都新聞「放送時評」
03年9月


 「さまよえる戦争画〜従軍画家と遺族たちの証言〜」(八月十六日夜教育テレビ)は、かつて従軍して戦場を描いた画家に戦争責任はあるか、という興味深いテーマを追ったドキュメンタリーである。
藤田嗣治、小磯良平、宮本三郎ら日本を代表する画家たちも、軍の依頼で戦場の名場面を描き、名をあげ賞を受けた。国立近代美術館に保管されている「戦争記録画」153点は、戦争のプロパガンダだとして、戦後いったんアメリカに接収された後、日本に「永久貸与」されたのだが、これまで全面的には公開されなかったという。

これらはプロパガンダなのかそれとも芸術作品なのか、芸術家の戦争責任や倫理はどこまでおよぶのか。番組は未展示の物を含め、多くの戦争画を紹介しながら、それを描いた画家やその遺族の思いを丹念に掘り起こしていく。戦後北海道の故郷にこもって絵を描き続けた小川原脩は、昨夏、亡くなる前に、黙してきた戦争画への思いをかすかに洩らす。「戦争画が実在する責任は僕にある。それは一人で引き受ける」と。また、宮本三郎の孫・陽一郎の授業では、日本に対して厳しい眼差しをもつアジアからの留学生も交えて、表現行為の責任をともに考える。韓国の留学生の一人は「韓国でも日本軍に協力した作家の責任が問われたこともある」と語る。

美術界では長らくタブー視されてきたということだが、実は戦争にかかわった文学や映画、音楽などの責任については、これまで世界中でさまざまに論議され、表現行為の倫理的な責任についてはある程度明らかにされてきた。時代の記録として残すべきか否か、近隣諸国への配慮が必要か否かといった、ステレオタイプなテーマの立て方は旧すぎるとも思われる。
ドイツ占領下のパリの撮影所での多様な抵抗を描いた最近の映画『レセ・パセ』は、創造にかかわる行為が「正義か悪か」という単純な選択ではないことを、みごとに描き出している。戦争に関わる表現を避けていればいいという問題ではない。どんな立場で、どんな方法で、何を表現するかが重層的に問われる。
 
 しかし、従軍画家の責任について、今、語ることは、単に過去の戦争の反省にはとどまらない。イラク戦線からの従軍レポートや、政治的な課題を避けるジャーナリズムを連想すれば明らかなように、この番組は現在の表現者たちに対して今日的に鋭い意味をもつといえる。そういう意味で「届かなかった手紙・関東軍は何を検閲していたか」(NHK十六日)も、すぐれて現在的な番組であろう。

 八月はテレビ五〇周年と銘打って、NHKは埋もれていた民間の貴重なカラーフィルムを発掘した「昭和の戦争と平和」、核に関する記録映像特集、「ひめゆり同窓会」など一連のアーカイブス番組での戦争特集を展開して、あらためて戦争の無惨さを再確認させてくれた。同時に「かつての制作者集団の視点・姿勢は、これほど真摯だったのか」という複雑な感慨にとらわれたのも事実である。

市民とメディア研究会・あくせす会員
津田正夫